村上春樹著『騎士団長殺し 顕れるイデア編』を読んで
2017 / 04 / 24 ( Mon ) 05:58:57
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 今朝の東京は晴れです。

 涼しいです。

 おはようございます、kakisakasanです。


 ええっと、今日は予てから言っていた村上春樹著『騎士団長殺し 顕れるイデア編』の感想を書きたいと思います。

 が、その前に…

 どんな内容や展開であっても、取り敢えず50ページは読んでみて、それで物語に乗っていけなければ、読むのを止める。

 これは主に長編小説を読む時の私の方針で、その心構えを持って、以前私は村上春樹著『ノルウェイの森』を読みました。

 今からもう30年近く前の事です。

 結論を言えば、私は読むのを止めました。

 その事が念頭にあったので、『騎士団長殺し 顕れるイデア編』も同様の事になるのかなあと思っていたら、やはりそうなりました。

 でも、今回は感想をブログに書くという目的がありましたので、物語に乗っていけなくても、辛抱して読み進めました。

 でね、どうして話に乗っていけないのだろうと考えながら読み進め、結果、私は二つの結論を出しました。

 ひとつは、無駄な文章、と言うよりは不必要な文章が多過ぎると言った方がより正確でしょうね、とにかく冗漫な文章が邪魔で仕様が無い。

 読んでいて、やっと物語に感情移入出来そうかなと思ったら、冗漫な分章が現れて、それが物語への感情移入を阻むんですよ。

 特に前半がひどいです。

 もうひとつは但し書きの()が多過ぎる。

 これを読む度に読書の気持ちを折られてしまって、本当に嫌になります。

 うっとうしいと思ってしまいます。

 だからね、これで思ったのは、この人は自分の書いた文章を声に出して読んだことがあるのだろうかということ。

 責任を持って文章を書くためには、声を出して読むことは必要不可欠です。

 作家はそれをすることによって、自分の培った文章の微妙なズレを整えることが出来るのであり、読者に対して分かりやすい文章を届けることが出来るのです。

 もし、村上春樹さんがきちんとそれを行っているのであれば、冗漫な文章が、但し書きの()が、いかに読書の進行を妨げているか分かるはずなんです。

 しかし、実際はそうではない。

 ということは、書くだけ書いて、後は編集者任せにしているんだと思います。

 いや、ひょっとしたら、編集者から出来るだけ長い文章を書いてくれと言われているのかもしれません。

 今や、ノーベル文学賞候補と言われる作家ですから、村上春樹と名が付くだけで売れると思います。

 そうだとすれば、出来るだけ値段の高い本を数多く売りたいと出版社は思うはずです。

 そのためには、長編小説が必要とされるわけで、だから、出来るだけ長い文章を書いてくれと編集者は言ったのではないか…

 だから冗漫な文章が多くなり、逆に物語の展開に必要な文章が書き込まれていないのではないか…

 その結果が税込みで1冊1944円もする本が上下巻で発売されることになった…と言う事ではないかと思います。

 まあ、テレビドラマにたとえるなら、視聴率が良いからという理由で、13話で完結させるはすが26話くらいまでになったという感じですね。

 ドラマの内容を追求するのではなく、視聴率という数字の追求、金の追求ということですね。

 そのやり方がこの小説にも当てはまるということなんでしょうか。

 では、肝心の物語の展開はと言いますと、これがねえ~

 主人公である『私』は肖像画を描いて生計を立てており、ある日、免色という名前の男から自身の肖像画を描いて欲しいと依頼されます。

 当時『私』は訳あって雨田具彦という著名な日本画家の家で暮らしていて、そこで『騎士団長殺し』というタイトルが付けられた一枚の絵を発見します。

 この小説のタイトルは『騎士団長殺し』。

 その絵を描いたのが、雨田具彦という著名な日本画家。

 しかも、彼はウィーン留学中に体験したことが切っ掛けとなって、洋画家から日本画家へと転身します。

 主人公の『私』も美大出身で絵を描いてます。

 となれば、雨田具彦の描いた『騎士団長殺し』を通して、主人公である『私』の何かしらの葛藤であったり、自身の行く末であったり、そのような事が書かれるのだろうと思いましたし、この展開であるならばそう書くべきだと思います。

 ところが…

 上巻のタイトルの正式名は『騎士団長殺し 顕れるイデア編』。

 このイデアとは、読めば分かりますが、はっきり言えば妖精とか精霊とかの類いのもので、それが描かれた騎士団長の姿を借りて『私』の前に顕れるんですよ。

 読んでる最中、私は本当に「はっ?」という声をあげました。

 何だ、この展開は?

 小さなおじさんを登場させてどうするの…

 シナリオを書く手法で箱書きと言うのがあります。

 登場する人物・場所・時間経過、伏線の張り方など、それらをどのようにして組み立てていくか…

 そして、その箱書きの礎となるのが、当然のことながら作品の内容。

 それを一人でも多くの人に分かりやすく、且つ作家の思いを伝えるために、箱書きをどのようにすれば良いのかを考える。

 シナリオライターが頭を抱えるのは常に箱書きをどうするかと言っても過言ではありません。

 それと照らし合わせて考えると、この小説には箱書きどころか、箱書きの核となる内容もないんですよ。

 前回、私は百田尚樹著『永遠の0』の感想を書きました。

 内容の好き嫌いは別として、この作品からは百田さんの情熱がとてもよく伝わって来ました。

 兵隊さんへの敬意、私利私欲しか考えていない官僚軍人に対する怒り、自分たちに都合の良い情報しか伝えないマスコミへの憤り…

 それに比べて『騎士団長殺し 顕れるイデア編』には何も無いんですよ。

 先にも言いましたように『騎士団長殺し』の絵に拘わることによって、主人公である『私』の何かしらの苦悩であったり、葛藤であったり、そういう事を書くべきです。

 そして、読者は『私』の人生と比較対照して、色々と考えさせられる。

 小説とは本来そういうものだと思います。

 旅の途中でいきなり変な女が寄って来てエッチしたり、人妻とエッチしたり、そんな挿話は全く必要がないです。

 官能小説を書くのが目的ではないはずです。

 おそらく、村上春樹さんはこの小説を書くに当たって、構成の核となるものを何も持たずに書いたのではないかと思います。

 もっと突っ込んで言えば、取り敢えず思い浮かんだことをつらつらと書いただけだと思われます。

 エッチする女性との間に何も葛藤がない展開は、つらつらと書くにはおあつらえ向きですものね。

 だから、前半は冗漫な文章がとても多く、後半はそこで書いた内容から伏線となりそうなものを適当に選んで書いた…

 スバルフォレスターの男なんて、その典型だと思います。

 『騎士団長殺し』の絵もそれに対する追求は行わず、「イデア」という訳の分からない妖精か精霊の類いを登場させて、何かもう無茶苦茶ですよ。

 あっ、それから…

 文章の横に「、」がやたらと付けられているのですが、これは一体何なのでしょうね。

 さも、その一文がこの小説において重要な箇所だと言わんばかりなんですが、こう言う手法はここぞという時に使って初めて効果があるのであって、めったやたらに使うと、ただうっとうしいだけです。

 ひねくれた見方をすれば、内容の無い文章だから、思わせぶりな事をすることで、見た目だけでも小説としての格を上げようとしている。

 そんなふうに思えてしまいます。

 ただし、これは『騎士団長殺し 顕れるイデア編』を読んだ感想であって、下巻である『騎士団長殺し 遷ろうメタファー編』の感想ではありません。

 ひょっとしたら『遷ろうメタファー編』では、凄い展開になっていて「なるほど、こう言う事だったのか」と思うかもしれません。

 でも、やっぱりもういいです。

 1944円も払ってまで読みたいとは思いません。

 でも、若干気にはなりましたので、ネット検索したらWikipediaに『騎士団長殺し』について書かれていました。 

 小説のあらましは後半に入ってもどうやら変わらないように思えました。

 また、著名な方の書評が抜粋して書かれていますが、肯定できそうな部分を見つけてそれらしく書いているのは、大したものだと思いました。

 と言う事で、村上春樹著『騎士団長殺し 顕れるイデア編』の感想はこれで終わりたいと思います。

 次回は小説ではなく、あるドキュメントについて感想を書きたいと思っています。

 それが終わりましたら、文豪ストレイドッグスシリーズを展開したいと思っています。

 それでは…

 ヾ(*´∀`*) byebye♪

 
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