電子小説『廃墟の戯れ』kindleから配信中です。読売新聞書評 冒頭文あり(サスペンス)
2016 / 03 / 27 ( Sun )
09:13:05
ibookstore、kindleからも電子書籍を出版しています。
今朝の東京は薄曇りです。 ![]() ホットコーヒー、飲んでます。 ![]() おはようございます、kakisakasanです。 ![]() 現在、わたくし垣坂弘紫は短編小説『廃墟の戯れ』をアマゾンkindleから配信しています。 以下に、読売新聞(大阪)に掲載された書評と冒頭文を記載しておきますので、是非読んで頂けたらと思います。 廃墟の戯れ 400字詰め原稿用紙換算枚数 90枚(縦書き) 所要読書時間60分以上。 お値段:およそ150円。 第三者の評価 1998年(平成10年)10月14日(水) 読売新聞 夕刊(大阪) 同人誌より(全文) 垣坂弘紫の『廃墟の戯れ』(関西文学4号)は、アメリカ映画『スタンド・バイ・ミー』を思わせる少年たちの青春への通過儀礼の物語が、とてつもない惨劇へと反転する過程をたどっている。現在、社会問題化している少年犯罪の実像に迫った作品だ。 語り手の「僕」を含む小学六年生の五人組は、臨海副都心の廃墟となったビルに忍び込み、真夜中の冒険を楽しんでいる。 ある夜、リーダー格の少年が、未完成の高層ビルに残された足場を渡ろうとして転落。三人は助けを呼ぼうとするが、子分のような存在だった気弱な少年が人が変わったように「ここは僕達だけの場所なんだ」と他人を入れることを拒絶した。 彼はなだめる他の一人を弾みで刺し殺し、残る「僕」たち二人にもナイフを向ける。 暗やみの中の攻防の末、「僕」は顔を切られ、もう一人は鉄の棒でわき腹を殴られた。「僕」がナイフの少年を突き飛ばすと、彼は窓ガラスに激突し、あっけなく死んでしまう。 少年たちの心理の背景は、「大人世界にしかなかった(中略)大人病と言うものが、子供世界にまで侵入して来てしまった」と説明される。「早すぎる時のサイクル」に巻き込まれた子供たちは、人生に疲れた大人のような「気だるさ」を背負わされ、「子供の時でしか味わえない大切な時間」を失った。廃墟のビルは、その「大切な時間」を取り戻すための聖域だったのだ。 「大切な時間」には、自分を取り巻く世界や人々への生き生きした好奇心と、豊かな情緒性が満ちているものだ。その対極にあるのは、自分の存在にもこの世界にも、意味を見いだせない虚無感だろう。 冒頭文 海の上を走り抜ける僕の目に、東京の街は小さな光を限りなく吸い込む、巨大なブラックホールのように見えた。いつか図鑑で見た、コンピューターグラフィックの描くそれと似ていると思えたからだろうか。 僕達は今、レインボーブリッジの歩道をお台場に向けて自転車を飛ばしている。街中の風とは違って、海の上を吹き抜ける風は寒さを通り越して、刺すように痛い。でも、それが快感だった。日常では味わえない、興奮の風だった。僕達は締め付けられた生活にうんざりして、異常を求めた。 眼下では、水上バスがレインボーブリッジの下を通り過ぎようとしている。波しぶきの音が寒い風に乗って、ペダルを漕ぐ足の裏から伝わって来る。僕の目線は地上から遥か離れた海の上の、漆黒の闇の真っ只中にある。橋を渡っている自覚がなければ、まさにETの映画のように、空中を走っているような気分だった。 僕はこれから向かう廃墟で戯れるよりも、このレインボーブリッジを走っているのが一番のお気に入りだった。 みんなはただ寒いだけだと言って、早く廃墟に行きたがった。今や、ビルの死体置き場となった臨海副都心で、冒険を楽しんで、それに飽きると、それぞれの家族の内情を言い合う。僕達の住む東京とは隔絶された、異様な空間に降りて、子供らしいこともすれば、家族の汚点を殊更取り上げて、大人顔負けの論争を繰り広げる。現実に愚痴をこぼすばかりで親を馬鹿にするだけなら、僕達もあいつらと変わらないではないかと言いたくもなるけど、中学受験を間近に控える僕達のプレッシャーを撥ね除ける共通の拠り所は愚痴しかなかった。
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