あれから5年~東日本大震災とそれにかかわる長編小説
2016 / 03 / 11 ( Fri ) 05:57:22
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 今朝の東京は曇りです。

 寒いです。

 おはようございます、kakisakasanです。


 本日3月11日は東日本大震災があった日です。

 早いもので、あれからもう5年が経つんですね。

 東北に足を踏み入れる機会が無いので、復興の現状がどうなっているのかは分かりません。

 それなりに進んでいるとは思いますが、震災からの復興はやはり国任せでは進まないとkakisakasanは思っています。

 そこに住んでいる人達が自主性を持って進めるべきだと思います。

 だって、国任せは、結局、他人任せだから。

 でも、そのためには、制度改革が必要になります。

 『地盤下のジャングル』という小説は、リーマンショックと大阪府の財政破綻が引き金となって日本の財政が破綻、ネバダ・レポートというIMF日本管理プログラムに強制的に置かれながらも、日本列島循環政策という独自の再建プログラムによって、日本が自国の復興を図るのですが、その過程である家族に悲劇が起こり、日本列島循環政策の副産物とも言える有権者法案作成制度によって、その悲劇を乗り越える物語です。

 リーマンショックが起きたのが2008年。

 東日本大震災が起きたのが2011年。

 時代が近接していますので、当然のことながら、この小説は東日本大震災にも触れており、東北地域は道州制のもと自主的な復興を行うと言う設定になっています。

 まさに、今を語る小説だと思いますので、是非一読して頂けたらと思います。


 冒頭文


 序章

 二〇一九年現在、この日本に一体どれだけの人間が住んでいるのか、あなたは御存じであろうか。
 そう、およそ一(注1)億二千六百万人である。
 では、その国民の人口分布がかつてどのようになっていたのか、それは御存じであろうか。
 二〇〇八年当時、東京、神奈川、埼玉、千葉で約三千四百万人。一都三県で四分の一強を占めていたのである。また、近畿の中心である大阪・兵庫、中部の中心である愛知を含めると、この三地域で約五千五百万人となり、日本の人口のほぼ半数を占めていたことになる。
 日本の国土面積はおよそ三八万平方キロメートル。先に挙げた一都一府五県の総面積が約二万九千平方キロメートル。その面積は日本国土の八パーセント弱に過ぎない。
 そんな狭い地域に、日本国民のほぼ半分がこれまで暮らしていたのである。
 今にして思えば、実にいびつな人口分布だったと言える。
 いや、その当時の人々も気づいてはいたに違いない。ただ、どうにもならなかっただけなのだ。
 格差と言う言葉が流行(はや)っていたこの頃、地域格差もまた大きな問題であった。地方では若者が減り、逆に年寄りは増え、人口の減少に歯止めがかからない地方は潰滅(かいめつ)の一途(いっと)をたどっていた。生活の基盤である商店街は次々と姿を消し、廃校が雨後の竹の子のように現れた。進出している企業が日本企業であろうが外国企業であろうが関係なく、大企業の工場が地域産業の要(かなめ)となっていた地方では、その依存体質から脱却出来ず、企業衰退はそのまま地方衰退となる、一蓮托生(いちれんたくしょう)の関係であった。
 地方は、国に集まる税金を地方交付税交付金という形で国から与えられ、また都市部に集まるお金をふ(*1)るさと納税と言う形で奪い取り、何とか経済破綻を免れていた。
 しかし、産業もなければ働き手もいない地方に金を注(つ)ぎ込んだところで、果たして何が出来たと言うのであろう。
 たとえて言うなら、地方は完全な植物人間状態であった。交付金やふるさと納税と言う金を注(つ)ぎ込むのは、生命維持装置で命をつなぎ止めることに他ならなかった。
 しかし、それでも日本国民はまだこの状況をひたひたと差し迫っていた日本崩壊と結びつけてはいなかった。
 その発端(ほったん)は、二〇〇八年九月に起こった。
 そう、世に言うリーマンショックである。これにより、世界は金融崩壊に突入、火に油を注(そそ)ぐかのようにアメリカの象徴であるGM、フォード、クライスラーまでもが倒産の危機に直面した。
 当時、ビッグ3におけるアメリカ国内の新車販売はインセンティブに依存していると言っても過言ではなかった。
 インセンティブとは、自動車メーカーが自動車ディーラーに対して支払う販売奨励金またはディーラーに対して便宜(べんぎ)を図(はか)る販売奨励策のことで、特に二〇〇一年以降は、アメリカ合衆国の市場に参画するメーカーの業績を左右するようになったことから、自動車の販売戦略を語る上で不可欠な言葉となった。この時期のインセンティブは、自動車ディーラーへのリベート、低金利(無金利を含む)自動車ローンの斡旋(あっせん)、購入者へのキャッシュバック、保証期間・保証走行距離の延長・無償修理、レンタカー会社などの大口契約者への大幅値引き、社員を対象とする優遇販売枠を縁故者へ拡大すると言うようものであった。
 率直に言って、これだけのインセンティブを行えば黒字は見込めない。独立採算でインセンティブを維持する事は出来ない。
 では、それを賄(まかな)う財源をビッグ3は何に求めたのか。 
 それが金融事業である。ビッグ3はそれで得た利益をインセンティブに注(つ)ぎ込んで、何とか販売数を維持してきた。
しかし、ではなぜ、ビッグ3はこれほどまでにインセンティブに依存しなければならなかったのであろうか。自動車販売だけで利益を上げることが出来なかったのであろうか。
 その要因となったそもそもの発端は、同時多発テロにまでさかのぼる。
それまでは順調だった売上も、同時多発テロによって販売状況が狂い始めた。しかし、生産を急に減らすことが出来なかったビッグ3の各社は、抱えた在庫を処分するためにインセンティブの大盤振る舞いに踏み切らざるを得なかったのだ。
 そうして、そのような状況が続いた中、突然起こったリーマンショックによる金融崩壊により急速に資金繰りが悪化、金融事業自体が経営難に直面、その結果、財源を絶たれたビッグ3は倒産の危機と言う最悪の事態に陥ったのである。
 本来なら、経営者はそのような悪循環を断ち切るために、まずは固(*2)定費削減の努力を払うものである。しかし、それが出来なかった。
 なぜか?
 その問題こそがUAW(全米自動車労組)の存在であった。
 アメリカの大手労働組合の一つであるUAWは、かつて飛ぶ鳥を落とす勢いと言われた程強大な力を持っていた。自動車産業のメッカと言われたデトロイトでは“工場従業員は全てUAW組合員”と言う図式が確立していた。
 しかし、一九八〇年代に入ってから、その力に翳(かげ)りが見え始めた。この頃から輸入日本車が徐々に市場占有率を高めたからである。
 それ故(ゆえ)、アメリカは日本に年間一六八万台という輸出自主規制の枠(わく)をはめた。日本の自動車メーカーはこれを契機に輸出から現地生産へと切り替えざるを得なくなった。
 現地生産はアメリカでの生き残りをかけた日本車メーカーの一つの方策であった。しかし同時に、それはアメリカにとっても大きな好機であると考えた政治家がいた。一人は当時のアメリカ大統領ジミー・カーターであり、そしてもう一人がテネシー州知事のラマー・アレキサンダーであった。
 カーターは全米の州知事に対し、日本の自動車メーカーに出向いてアメリカ工場建設の誘致活動をするように促した。アレキサンダーは、逸早(いちはや)くそれに応(こた)えた一人だった。
 中西部のテネシーこそが大陸の中心であり、冬はマイナス二十度以下になるデトロイトと比較すれば、気候も温暖なテネシーは間違いなく交通の要衝(ようしょう)となりうる。テネシーやケンタッキーと言った大陸の中央に位置する南部諸州に工場を建設すれば、全米各地への輸送費は東部に位置するデトロイトよりも確実に割安になる。
日本の自動車メーカーは、このセールスポイントに着目、そうして、南西部に工場を建設、アメリカ国内での売上を着実に伸ばしていった。
 この日本のアメリカ進出は当然脅威となった。しかし、それは何もビッグ3に対するものだけではなかった。UAWにとっても、それは自身の存在を掻(か)き消してしまう、とんでもない脅威となった。と言うのも、日本車メーカーを初めとした各国の自動車メーカーは、組合員を雇用したがらない傾向が強かったからだ。
 UAWに加盟すれば労使間闘争があり、それによって賃上げはまず勝ち取れるだろう。しかし、労組に加盟すれば会合やら闘争やらで時間もまた奪われてしまう。その点、日本車メーカーには昇給があり、二十四時間オープンの保育所やディスカウント薬局、あるいは著名人を招いたイベントやピクニックを主催し、従業員にとってはこの上ない福利厚生が充実していた。
 不満のない職場にとってもはや労組は無用の長物であった。そして遂(つい)には、UAW反対のウェブサイトを立ち上げ、正面切って反労組を掲げる者までが現れた。
 このような状況に対し、では、ビッグ3はどうだったのであろうか。
 先に話したように、ビッグ3は同時多発テロ以降はインセンティブを出さないと車が売れないという悪循環に陥っていた。だからこそ、この時点で固定費の削減をするべきであり、企業側もそうしなければならない事は十二分に承知していたはずだった。しかし、UAWという強固な労組をビッグ3は抱えていたために、リストラや人員の削減を実行出来なかったのである。
 更(さら)に、UAWに内在するビッグ3にとってのもう一つの足かせが従業員の医療費であった。たとえば、GMの場合、医療費の自己負担比率はUAW加盟者であれば一割弱である。アメリカの労働者平均は三割強であるから、その優遇さが分かろうと言うものだ。しかも、医療費の三分の二が退職者の家族向けであり、高齢化が更に負担を重くするという最悪の状況であった。それ故、当時の会長兼最高責任者であるリチャード・ワゴナーは医療費の削減交渉に真剣な構えをUAWに示した。
 これまでUAWとビッグ3との労使間交渉では、工場閉鎖や人員削減が実施された時は、留(とど)まる従業員の賃上げや労働条件の改善を訴え勝ち取るのが常であった。
 しかし、今回も同様の事を行えば、経営が悪化するのは必至だ。会社が存続すれば、給与が下がっても生活は何とか保障される。リストラされた人達は気の毒だが、留まった人たちは救われる。しかし、会社が潰れたら、何もかもが失われてしまう。助かる人たちも助からなくなるのだ。
 ビッグ3にとっても、UAWにとっても、それは避けたいはずだった。
 しかし、全てが遅かった。
引き潮のように景気が後退した結果、あのトヨタですら売上の下方修正を余儀なくされたのだ。
 トヨタ自動車は二〇〇八年十二月、二〇〇九年三月期の連結業績予想(米(*3)国会計基準)を大幅に下方修正、本業の儲けを示す営業損益が十一月六日の中間決算発表時に公表していた六〇〇〇億円の黒字から、一転一五〇〇億円の赤字に転落すると発表。トヨタが営業段階で赤字となるのは決算数値の公表を始めた一九四一年三月期以来これは初めてのことであり、トヨタショックと呼ばれるこの一連の出来事が世界を震撼(しんかん)させ、ビッグ3に対する信頼を完全に失墜(しっつい)させてしまった。
 時の大統領であるオバマはアメリカの国是(こくぜ)である市場原理主義を貫くべきか、それとも政府として救済するべきなのか判断を迫られ、結果、オバマは市場原理における淘汰(とうた)を選択した。
 ビッグ3は、破産という最悪の事態を以(もっ)て長きにわたるアメリカの象徴としての歴史から姿を消したのである。
 世界は、まさに未曾有(みぞう)の恐慌の真っ只中であった。そして、恐れていた最悪のことが、遂に日本でも現実となってしまった。
 そう、日本国の破産である。
 この物語は、IMF傘下で日本の大改革が行われてから十年後に起きた、ある家族の悲劇である。



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 地盤下のジャングル


 
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