村上春樹著『騎士団長殺し 顕れるイデア編』を読んで
2017 / 04 / 24 ( Mon ) 05:58:57
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 今朝の東京は晴れです。

 涼しいです。

 おはようございます、kakisakasanです。


 ええっと、今日は予てから言っていた村上春樹著『騎士団長殺し 顕れるイデア編』の感想を書きたいと思います。

 が、その前に…

 どんな内容や展開であっても、取り敢えず50ページは読んでみて、それで物語に乗っていけなければ、読むのを止める。

 これは主に長編小説を読む時の私の方針で、その心構えを持って、以前私は村上春樹著『ノルウェイの森』を読みました。

 今からもう30年近く前の事です。

 結論を言えば、私は読むのを止めました。

 その事が念頭にあったので、『騎士団長殺し 顕れるイデア編』も同様の事になるのかなあと思っていたら、やはりそうなりました。

 でも、今回は感想をブログに書くという目的がありましたので、物語に乗っていけなくても、辛抱して読み進めました。

 でね、どうして話に乗っていけないのだろうと考えながら読み進め、結果、私は二つの結論を出しました。

 ひとつは、無駄な文章、と言うよりは不必要な文章が多過ぎると言った方がより正確でしょうね、とにかく冗漫な文章が邪魔で仕様が無い。

 読んでいて、やっと物語に感情移入出来そうかなと思ったら、冗漫な分章が現れて、それが物語への感情移入を阻むんですよ。

 特に前半がひどいです。

 もうひとつは但し書きの()が多過ぎる。

 これを読む度に読書の気持ちを折られてしまって、本当に嫌になります。

 うっとうしいと思ってしまいます。

 だからね、これで思ったのは、この人は自分の書いた文章を声に出して読んだことがあるのだろうかということ。

 責任を持って文章を書くためには、声を出して読むことは必要不可欠です。

 作家はそれをすることによって、自分の培った文章の微妙なズレを整えることが出来るのであり、読者に対して分かりやすい文章を届けることが出来るのです。

 もし、村上春樹さんがきちんとそれを行っているのであれば、冗漫な文章が、但し書きの()が、いかに読書の進行を妨げているか分かるはずなんです。

 しかし、実際はそうではない。

 ということは、書くだけ書いて、後は編集者任せにしているんだと思います。

 いや、ひょっとしたら、編集者から出来るだけ長い文章を書いてくれと言われているのかもしれません。

 今や、ノーベル文学賞候補と言われる作家ですから、村上春樹と名が付くだけで売れると思います。

 そうだとすれば、出来るだけ値段の高い本を数多く売りたいと出版社は思うはずです。

 そのためには、長編小説が必要とされるわけで、だから、出来るだけ長い文章を書いてくれと編集者は言ったのではないか…

 だから冗漫な文章が多くなり、逆に物語の展開に必要な文章が書き込まれていないのではないか…

 その結果が税込みで1冊1944円もする本が上下巻で発売されることになった…と言う事ではないかと思います。

 まあ、テレビドラマにたとえるなら、視聴率が良いからという理由で、13話で完結させるはすが26話くらいまでになったという感じですね。

 ドラマの内容を追求するのではなく、視聴率という数字の追求、金の追求ということですね。

 そのやり方がこの小説にも当てはまるということなんでしょうか。

 では、肝心の物語の展開はと言いますと、これがねえ~

 主人公である『私』は肖像画を描いて生計を立てており、ある日、免色という名前の男から自身の肖像画を描いて欲しいと依頼されます。

 当時『私』は訳あって雨田具彦という著名な日本画家の家で暮らしていて、そこで『騎士団長殺し』というタイトルが付けられた一枚の絵を発見します。

 この小説のタイトルは『騎士団長殺し』。

 その絵を描いたのが、雨田具彦という著名な日本画家。

 しかも、彼はウィーン留学中に体験したことが切っ掛けとなって、洋画家から日本画家へと転身します。

 主人公の『私』も美大出身で絵を描いてます。

 となれば、雨田具彦の描いた『騎士団長殺し』を通して、主人公である『私』の何かしらの葛藤であったり、自身の行く末であったり、そのような事が書かれるのだろうと思いましたし、この展開であるならばそう書くべきだと思います。

 ところが…

 上巻のタイトルの正式名は『騎士団長殺し 顕れるイデア編』。

 このイデアとは、読めば分かりますが、はっきり言えば妖精とか精霊とかの類いのもので、それが描かれた騎士団長の姿を借りて『私』の前に顕れるんですよ。

 読んでる最中、私は本当に「はっ?」という声をあげました。

 何だ、この展開は?

 小さなおじさんを登場させてどうするの…

 シナリオを書く手法で箱書きと言うのがあります。

 登場する人物・場所・時間経過、伏線の張り方など、それらをどのようにして組み立てていくか…

 そして、その箱書きの礎となるのが、当然のことながら作品の内容。

 それを一人でも多くの人に分かりやすく、且つ作家の思いを伝えるために、箱書きをどのようにすれば良いのかを考える。

 シナリオライターが頭を抱えるのは常に箱書きをどうするかと言っても過言ではありません。

 それと照らし合わせて考えると、この小説には箱書きどころか、箱書きの核となる内容もないんですよ。

 前回、私は百田尚樹著『永遠の0』の感想を書きました。

 内容の好き嫌いは別として、この作品からは百田さんの情熱がとてもよく伝わって来ました。

 兵隊さんへの敬意、私利私欲しか考えていない官僚軍人に対する怒り、自分たちに都合の良い情報しか伝えないマスコミへの憤り…

 それに比べて『騎士団長殺し 顕れるイデア編』には何も無いんですよ。

 先にも言いましたように『騎士団長殺し』の絵に拘わることによって、主人公である『私』の何かしらの苦悩であったり、葛藤であったり、そういう事を書くべきです。

 そして、読者は『私』の人生と比較対照して、色々と考えさせられる。

 小説とは本来そういうものだと思います。

 旅の途中でいきなり変な女が寄って来てエッチしたり、人妻とエッチしたり、そんな挿話は全く必要がないです。

 官能小説を書くのが目的ではないはずです。

 おそらく、村上春樹さんはこの小説を書くに当たって、構成の核となるものを何も持たずに書いたのではないかと思います。

 もっと突っ込んで言えば、取り敢えず思い浮かんだことをつらつらと書いただけだと思われます。

 エッチする女性との間に何も葛藤がない展開は、つらつらと書くにはおあつらえ向きですものね。

 だから、前半は冗漫な文章がとても多く、後半はそこで書いた内容から伏線となりそうなものを適当に選んで書いた…

 スバルフォレスターの男なんて、その典型だと思います。

 『騎士団長殺し』の絵もそれに対する追求は行わず、「イデア」という訳の分からない妖精か精霊の類いを登場させて、何かもう無茶苦茶ですよ。

 あっ、それから…

 文章の横に「、」がやたらと付けられているのですが、これは一体何なのでしょうね。

 さも、その一文がこの小説において重要な箇所だと言わんばかりなんですが、こう言う手法はここぞという時に使って初めて効果があるのであって、めったやたらに使うと、ただうっとうしいだけです。

 ひねくれた見方をすれば、内容の無い文章だから、思わせぶりな事をすることで、見た目だけでも小説としての格を上げようとしている。

 そんなふうに思えてしまいます。

 ただし、これは『騎士団長殺し 顕れるイデア編』を読んだ感想であって、下巻である『騎士団長殺し 遷ろうメタファー編』の感想ではありません。

 ひょっとしたら『遷ろうメタファー編』では、凄い展開になっていて「なるほど、こう言う事だったのか」と思うかもしれません。

 でも、やっぱりもういいです。

 1944円も払ってまで読みたいとは思いません。

 でも、若干気にはなりましたので、ネット検索したらWikipediaに『騎士団長殺し』について書かれていました。 

 小説のあらましは後半に入ってもどうやら変わらないように思えました。

 また、著名な方の書評が抜粋して書かれていますが、肯定できそうな部分を見つけてそれらしく書いているのは、大したものだと思いました。

 と言う事で、村上春樹著『騎士団長殺し 顕れるイデア編』の感想はこれで終わりたいと思います。

 次回は小説ではなく、あるドキュメントについて感想を書きたいと思っています。

 それが終わりましたら、文豪ストレイドッグスシリーズを展開したいと思っています。

 それでは…

 ヾ(*´∀`*) byebye♪

 
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やっと『騎士団長殺し 顕れるイデア編』を読み終わったぞ
2017 / 04 / 20 ( Thu ) 05:55:17
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 今朝の東京は晴れです。

 ちょっと涼しいです。

 おはようございます、kakisakasanです。


 二週間と少しを掛けて、やっと『騎士団長殺し 顕れるイデア編』を読み終わりましたよ。

 疲れたあ~

 さあ、週末はその感想を書くわけですが…

 さて、どうしたものでしょうね。

 (。-`ω´-)ンー

 
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村上春樹著『騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編』の感想を書くため、読書に励みます
2017 / 04 / 06 ( Thu ) 06:00:12
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 今朝の東京は晴れです。

 穏やかな朝です。

 おはようございます、kakisakasanです。


 ええっと、タイトルにありますように現在村上春樹著『騎士団長殺し』の感想を書くために、せっせと読んでいます。

 『永遠の0』に次ぐ第二弾ということですね。

 多分、来週末には感想が書けると思いますので、興味のある方は是非読んで頂けたらと思います。

 と言う事で、本日のブログはお休み。

  ( ̄∇ ̄*)ゞ

 

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百田尚樹著『永遠の0』を読んで
2017 / 03 / 26 ( Sun ) 10:01:42
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 今朝の東京は雨です。

 寒いです。

 おはようございます、kakisakasanです。


 ええっと、今日は百田尚樹さんが書かれた小説『永遠の0』を読んだ感想を書きたいと思います。

 百田さんの書かれた最近の小説と言えば『幻庵』。

 どうしてそれを読まずに2006年に出版された本を今頃読むのかと言いますと、それには理由がありまして…

 まあ、一言で言えば売名行為ですね。

 著名な方に自作の小説を読んで頂き感想を言って頂ければ、それ自体が大きな広告になります。

 芸能人に読んでもらって、その感想をキャッチコピーにする手法ですね。

 では、なぜ百田尚樹さんの『永遠の0』なのかと言いますと、kakisakasanが百田さんに読んで欲しいと思っているのが同じ戦争を扱っている小説だから。

 タイトルは『Kill The Japanese』。

 東京大空襲にスポットを当てた、戦争に正義はないというテーマのもとに書いた小説です。

 百田さんも戦争に多大な関心があるからこそ『永遠の0』を書かれたと思います。

 その百田さんならきっと『Kill The Japanese』に関心を抱いて下さるだろうとkakisakasanは思ったわけです。

 しかし、これは飽くまでkakisakasanの一方的な考えであって、本当に読んで頂けるかどうかはまた別のことです。

 ですから、少しでも可能性を高くしたいと思って、百田さんのツイッターの返信に「百田さんの小説の感想を書きますので、私の小説の感想を書いて下さい」と先に伝えておきました。

 本当に図々しいお願いで、これが功を奏すかどうかは分かりませんが、今のkakisakasanに出来るのは人事を尽くして天命を待つことだけです。

 と言うことですので、百田尚樹さん、どうかよろしくお願い致します。

 
 ***********************************


 それでは『永遠の0』の感想を書き進めていきたいと思います。

 とにかく、いの一番にあげるのは、よく調べられたなあということ…

 巻末には当たった資料が書かれていますが、これらを全て読んで、溢れんばかりの情報を頭にたたき込んで、それを咀嚼・精査してどのような文章構成にして書いていけば良いのか…

 それを考え行うのは本当にしんどい作業です。

 その作業に対して真摯に取り組まれているのは本当に立派なことだと思いますし、この小説に対するもの凄い執念を感じました。

 何が何でも書き遂げるんだという執念を…

 物書きなんだからそれくらい当たり前だろと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実際はそうではありません。

 大して調べもせず適当に書かれる作家もいます。

 調べるのは嫌いだと公然と言っている著名な作家もいるくらいですから、資料を調べることは地道で面倒臭い作業なんです。

 戦争という題材を扱うとき、それはまず間違いなく『それによって何かを訴える』ものだと言えます。

 つまり、百田尚樹という一人の作家がこの作品によって百田尚樹の考えを訴える作品だと言えます。

 わたくしはそれを念頭に置いて読み始めました。

 この小説は、佐伯健太郎という26歳の若者の一人称で話が進められています。

 ですから、当初は彼が主人公だと思いました。

 しかし、第三章の真珠湾あたりから、どうも違うぞと思いました。

 主な登場人物は、佐伯健太郎、姉の慶子、新聞記者の高山、藤木秀一、戦争体験を語る人達、大石賢一郎、その妻である松乃、そして宮部久蔵。

 あらましは、宮部久蔵は健太郎の祖父であり、特攻隊員であった祖父の歴史を調べるために、健太郎は祖父を知っている元海軍の人達と会い、話を聞きます。

 その話を通して、戦争の悲惨さ、現在語られている一般的な事実の間違いなどを浮かび上がらせています。

 それを佐伯健太郎の目を通して描かれるのだろうと思っていたのですが、どうも違うんです。

 もし、佐伯健太郎が主人公であるならば、過去の事実を知ることで健太郎の葛藤が描かれると思うのですが、それはほとんどありません。

 では、主人公は佐伯健太郎ではなく、宮部久蔵なのか? 

 佐伯健太郎と彼の祖父であり特攻隊員であった宮部久蔵を比較対照することによって、現代の若者である佐伯健太郎の視点から特攻隊員としての宮部久蔵という人物を浮かび上がらせ描いているのではないのだろうかと…

 しかし、これもまた違います。

 宮部久蔵の歴史を知ることを目的として話が進められていきますから、一貫して登場はしますが、健太郎の視点から捉えた宮部久蔵は描かれていません。

 では、作者である百田さん自身が宮部久蔵を描いているのかと言えば、それもありません。

 宮部久蔵を浮き彫りにするのは、彼を知っている元海軍に属していた人達であり、彼等の戦争体験談を通して宮部久蔵は描かれています。

 では、それによって宮部久蔵が確固たる主人公として描かれているのかと言えば、それも違います。

 となると、この小説の主人公は宮部久蔵ではなく、彼を知る人達なのか?

 彼等が語っている内容は、宮部久蔵の事よりもむしろ当時の事実、つまり、百田さんが資料を調べて知った事実の方が圧倒的に多いです。

 この小説を読んでいると、宮部久蔵を描くことによって百田さんの考えを訴えると言うよりも、彼等に事実それ自体を語らせることを目的としているように見受けられます。

 宮部久蔵の物語を考えたとき、確かに伏線も張られていて、物語としての完結はあるのですが、それはこの小説の骨子ではないと思います。

 小説を読んだというよりは、むしろドキュメントを読んだ感じが拭えないのは歴史の事実を伝えることに重点を置いているからだと思います。

 佐伯健太郎は司会進行役、宮部久蔵は元海軍に戦争体験談を語らせるための共通の人物であり話題。

 つまり、この小説の主人公は百田尚樹さん自身ということです。

 特に顕著なのが第九章のカミカゼアタック。

 百田さんの日常の言動を鑑みれば、この九章で登場する武田さんの怒りはそれ即ち百田尚樹の怒りと受け取れます。

 ただ、間違えてほしくないのは、この構成がいけないということではありません。

 『永遠の0』には百田さんの情熱を感じます。熱意を感じます。

 ただ、それがちょっと強すぎたかなと…

 それ故に、物語を作ることよりも、直接事実を語ることに意識が傾いてしまったかなと…

 わたくしの書いた『Kill The Japanese』をある大手出版社の方が読まれたとき「事実が足りない」と言われました。

 これと対比させるのなら『永遠の0』は事実が多かったということになるのでしょうか。

 物語の最後である第十二章の流星では不思議な縁が語られて、ドキュメントよりも小説本来が持っている物語の要素が強く出ています。

 戦争の事実を正確に伝えたいという百田さんの気持ちも分かりますが、各章で登場する人物が語っている内容には結構重複部分もありましたから、それを削った原稿の枚数分を宮部久蔵の生き様に当てれば、文章も冗漫にならず、小説としての質はもっと上がったのではないかと思います。

 そうすれば、第十二章の流星の内容がもっと生きたと思いますし、読者もこの小説にもっと強く惹きつけられたのではないかと思います。

 もう2~3回読めば、更に細かなところまで気がつくことがあったかもしれませんが、でも、それはおそらく些末的なことになるだろうと思います。

 ただひとつ、文章テクニックについて…

 一人称で話を進めているのに、時々三人称の文が出て来ます。

 これは気をつけた方がいいと言いますか、編集者からの指摘はなかったのかなあと思いました。

 では、最後に…

 『永遠の0』を読んでいるとき、ある出来事が私の中で重なりました。

 それは福島第一原発の事故。

 東日本大震災で原発が破壊されて、放射性物質が漏れる大惨事になって…

 記憶が正しければ、事故発生から一ヶ月以内の事でした。

 テレビニュースだったかネットニュースだったかは覚えていません。

 東電関連の会社に入社してまだそれほど月日が経ってない24歳くらいの男性が現地に向かうんですよ。

 それを見た、確かおばあさんだったかな、

 「行くのかい?」と言ったような事を言われたんですよ。

 するとその男性は「仕事ですから」というような事を言って、あの原発のもとへ行ったと…

 それを聞いた時、本当に悔し涙が出ましたよ。

 まず真っ先に行かなければいけないのは、トップの人間だろ。

 現状把握をしなければならないのが社長の務めだろ。

 命を賭けなければならないのは、お前ら何だよ。

 でも、そんな奴らはいつもテレビカメラに向かって頭を下げるだけ。

 『永遠の0』で書かれている海軍のエリートと捨て駒にされた兵隊の関係もこれと全く同じ。

 あの戦争の時代から今日に至るまで、日本は何も変わらない。

 あなたもそう思いませんでしたか、百田さん。

 あっ、いけない、愚痴になりましたね。

 まあ、とにかく、私なりの感想を書きましたので、百田さんも『Kill The Japanese』の感想をテレビで話して頂けたら、もしくはブログに書いて頂けたらと思います。

 それでは、よろしくお願い致します。

 
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あれから6年~東日本大震災とそれにかかわる長編小説
2017 / 03 / 11 ( Sat ) 08:26:27
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 今朝の東京は晴れです。

 ホットコーヒー、飲んでます。

 おはようございます、kakisakasanです。


 本日3月11日は東日本大震災があった日です。

 早いもので、あれからもう6年が経つんですね。

 未だ東北に足を踏み入れる機会が無いので、復興の現状がどうなっているのかは分かりません。

 それなりに進んでいるとは思いますが、震災からの復興はやはり国任せでは進まないとkakisakasanは思っています。

 そこに住んでいる人達が自主性を持って進めるべきだと思います。

 だって、国任せは、結局、他人任せだから。

 でも、そのためには、制度改革が必要になります。

 『地盤下のジャングル』という小説は、リーマンショックと大阪府の財政破綻が引き金となって日本の財政が破綻、ネバダ・レポートというIMF日本管理プログラムに強制的に置かれながらも、日本列島循環政策という独自の再建プログラムによって、日本が自国の復興を図るのですが、その過程である家族に悲劇が起こり、日本列島循環政策の副産物とも言える有権者法案作成制度によって、その悲劇を乗り越える物語です。

 リーマンショックが起きたのが2008年。

 東日本大震災が起きたのが2011年。

 時代が近接していますので、当然のことながら、この小説は東日本大震災にも触れており、東北地域は道州制のもと自主的な復興を行うと言う設定になっています。

 まさに、今を語る小説だと思いますので、是非一読して頂けたらと思います。


 目次


 序章

 第一章 日本列島循環政策

 第二章 道州制

 第三章 農業政策

 第四章 南東北州

 第五章 魁市

 第六章 水の循環

 第七章 地盤下のジャングル

 第八章 有権者法案作成制度



 冒頭文


 序章

 二〇一九年現在、この日本に一体どれだけの人間が住んでいるのか、あなたは御存じであろうか。

 そう、およそ一(注1)億二千六百万人である。

 では、その国民の人口分布がかつてどのようになっていたのか、それは御存じであろうか。

 二〇〇八年当時、東京、神奈川、埼玉、千葉で約三千四百万人。一都三県で四分の一強を占めていたのである。また、近畿の中心である大阪・兵庫、中部の中心である愛知を含めると、この三地域で約五千五百万人となり、日本の人口のほぼ半数を占めていたことになる。

 日本の国土面積はおよそ三八万平方キロメートル。先に挙げた一都一府五県の総面積が約二万九千平方キロメートル。その面積は日本国土の八パーセント弱に過ぎない。

 そんな狭い地域に、日本国民のほぼ半分がこれまで暮らしていたのである。

 今にして思えば、実にいびつな人口分布だったと言える。

 いや、その当時の人々も気づいてはいたに違いない。ただ、どうにもならなかっただけなのだ。

 格差と言う言葉が流行(はや)っていたこの頃、地域格差もまた大きな問題であった。地方では若者が減り、逆に年寄りは増え、人口の減少に歯止めがかからない地方は潰滅(かいめつ)の一途(いっと)をたどっていた。生活の基盤である商店街は次々と姿を消し、廃校が雨後の竹の子のように現れた。進出している企業が日本企業であろうが外国企業であろうが関係なく、大企業の工場が地域産業の要(かなめ)となっていた地方では、その依存体質から脱却出来ず、企業衰退はそのまま地方衰退となる、一蓮托生(いちれんたくしょう)の関係であった。

 地方は、国に集まる税金を地方交付税交付金という形で国から与えられ、また都市部に集まるお金をふ(*1)るさと納税と言う形で奪い取り、何とか経済破綻を免れていた。

 しかし、産業もなければ働き手もいない地方に金を注(つ)ぎ込んだところで、果たして何が出来たと言うのであろう。

 たとえて言うなら、地方は完全な植物人間状態であった。交付金やふるさと納税と言う金を注(つ)ぎ込むのは、生命維持装置で命をつなぎ止めることに他ならなかった。

 しかし、それでも日本国民はまだこの状況をひたひたと差し迫っていた日本崩壊と結びつけてはいなかった。

 その発端(ほったん)は、二〇〇八年九月に起こった。

 そう、世に言うリーマンショックである。これにより、世界は金融崩壊に突入、火に油を注(そそ)ぐかのようにアメリカの象徴であるGM、フォード、クライスラーまでもが倒産の危機に直面した。

 当時、ビッグ3におけるアメリカ国内の新車販売はインセンティブに依存していると言っても過言ではなかった。

 インセンティブとは、自動車メーカーが自動車ディーラーに対して支払う販売奨励金またはディーラーに対して便宜(べんぎ)を図(はか)る販売奨励策のことで、特に二〇〇一年以降は、アメリカ合衆国の市場に参画するメーカーの業績を左右するようになったことから、自動車の販売戦略を語る上で不可欠な言葉となった。この時期のインセンティブは、自動車ディーラーへのリベート、低金利(無金利を含む)自動車ローンの斡旋(あっせん)、購入者へのキャッシュバック、保証期間・保証走行距離の延長・無償修理、レンタカー会社などの大口契約者への大幅値引き、社員を対象とする優遇販売枠を縁故者へ拡大すると言うようものであった。

 率直に言って、これだけのインセンティブを行えば黒字は見込めない。独立採算でインセンティブを維持する事は出来ない。

 では、それを賄(まかな)う財源をビッグ3は何に求めたのか。 

 それが金融事業である。ビッグ3はそれで得た利益をインセンティブに注(つ)ぎ込んで、何とか販売数を維持してきた。

しかし、ではなぜ、ビッグ3はこれほどまでにインセンティブに依存しなければならなかったのであろうか。自動車販売だけで利益を上げることが出来なかったのであろうか。

 その要因となったそもそもの発端は、同時多発テロにまでさかのぼる。

それまでは順調だった売上も、同時多発テロによって販売状況が狂い始めた。しかし、生産を急に減らすことが出来なかったビッグ3の各社は、抱えた在庫を処分するためにインセンティブの大盤振る舞いに踏み切らざるを得なかったのだ。

 そうして、そのような状況が続いた中、突然起こったリーマンショックによる金融崩壊により急速に資金繰りが悪化、金融事業自体が経営難に直面、その結果、財源を絶たれたビッグ3は倒産の危機と言う最悪の事態に陥ったのである。

 本来なら、経営者はそのような悪循環を断ち切るために、まずは固(*2)定費削減の努力を払うものである。しかし、それが出来なかった。

 なぜか?

 その問題こそがUAW(全米自動車労組)の存在であった…



 kindle
 地盤下のジャングル

 
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東京大空襲のあった日~その長編小説『Kill The Japanese』
2017 / 03 / 10 ( Fri ) 05:59:34
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 今朝の東京は晴れです。
 
 ごぼう茶、飲んでます。

 おはようございます、kakisakasanです。


 本日3月10日は東京大空襲のあった日です。

 正確に言えば、3月9日から10日未明にかけての出来事です。

 アメリカと日本が戦争をしていた…

 教科書で学んでも、今の若い人達には実感が湧かないでしょうね。

 もちろん、kakisakasanも戦争の経験はありませんが、両親や祖父母は経験をしていますので、昔話として時々聞いていました。

 空襲に遭って、逃げ回る話も聞いたことがあります。

 B29の絨毯爆撃によって潰滅させられた東京は、それこそ、灰と瓦礫になりました。

 わたしは東京大空襲にスポットを当てて、戦争に正義はないと言う考えのもとに『Kill The Japanese』と言う小説を書きました。

 以下にあらすじを記載しておきますので、是非読んで頂けたらと思います。


 小説の構成

 第1章 東京の思い出
 第2章 パール・ハーバー
 第3章 東京大虐殺
 第4章 生き残りし者の義務

 あらすじ

 時は西暦1935年。

 アメリカはニューヨークから、一人の白人青年が東京の下町である三筋に降り立った。

 彼の名前はフランクリン・スチュワート。

 幼少の頃に母親と死別。その後は、日本人の乳母である加藤ハツに育てられ、彼女を実の母親のように慕うようになった。

 しかし、ハツもまたガンで亡くなった。

 三筋を訪れたのは、ハツが育ったと言われる東京の下町を見たかったからである。

 三筋には、父の仕事仲間であるマケインの友人、村上源次郎・君子夫婦が住んでいた。

 彼は村上夫婦に東京の下町を案内してもらった。

 ところが、村上夫婦と接しているうち、彼は次第次第にこの夫婦に理想の父母を見るようになり、ついには、お父さん・お母さんと呼ぶまでになった。

 しかし、温かい気持ちになれたのも束の間、時代はいつしか戦争に突入。

 フランクが再び東京の地に足を踏み入れる事が出来たのは、焼夷弾で瓦礫の地となった終戦直後の事であった。

 これは、日本人に愛情を注いでもらった一人のアメリカ人が、戦争によって得た経験から『戦争に正義はない』と考えるに至った、数奇な運命の物語です。



 冒頭文

 第一章 東京の思い出

             一

 鳥越神社の脇にある通りを上って行くと、三筋と言う町に出る。村上源次郎が住む三軒長屋は、その通りを更に上った左手にあった。

 源次郎は妻の君子と二人暮らしであった。子供はいない。植木職人を生業とし、その腕の良さと快活な人柄に惚れて、源次郎に仕事を依頼する人は少なくなかった。その噂を聞き付けて、中には外国人もいた程である。

その源次郎宅が今朝は何やら騒々しい。玄関前には、近所の者が我先にと詰め掛けて、あちらこちらで話の花を咲かせている。

 空は抜けるような秋晴れが広がり、時折吹く風が実に爽やかだ。

 仕事でたまたま三筋を訪れていた者が、一体何の騒ぎだろうかと、通りにまではみ出ている人垣の向こうを背伸びして見遣ると、紋付き袴を着た源次郎が難しい顔をしてたばこをふかしていた。傍で見ても、気を落ち着かせるためにふかしているのがよく分かる。

「なるほど。娘さんがいよいよ嫁ぐって訳だ」

 独り合点して、そう呟くと、斜向かいに住んでいる中山さん家のおかみさんが、

「あんた何勘違いしてんだよ。源さんとこに娘なんていないよ」

「えっ……じゃあ、この人だかりは何なんだい?」

「外人さんが来るんだよ」

「外人?」

「そうなのよ。あたしも詳しい事は知らないんだけど、何でもアメリカの金持ちらしいよ」

「へえ、こんな下町にアメリカ人がねえ……一体あの人はどういう御仁なんだい」

「ただの植木職人だよ」

「ただのって、相手はアメリカの金持ちなんだろ」

「だから、みんなびっくりしてこうやって集まってるんじゃないか」

 と、その時である。

「来たぞ、来たぞ」

 と、子供の甲高い声が、やじ馬を煽るように、飛び込んで来た。

 源次郎の家の前に詰め掛けていた者達が、一斉に踊り出た。通りの人だかりはまるで風船が膨らむように大きくなった。

 大声で叫びながら、こちらに走って来るのは、憲太であった。憲太は今し方話していたおかみさんの息子である。更に見ると、憲太の後ろから一台の黒い乗用車が、濛々と砂煙を上げながら、勢いよく走って来るではないか。車はあっと言う間に憲太を追い越し、人だかりの手前で止まった。

 さっきまでの喧噪が嘘のようにやんだ。皆の視線が自動車に釘付けとなった。

 後部座席の扉が開いた。

 皆、固唾を飲んでじっと見ている。そして、全員が釣られるように上を向いた。

「おおっ」

 感嘆の声が一斉に沸き起こった。

 そこに立ったのは、背広を身に纏った見事なまでの青年紳士であった。


 kindle
Kill The Japanese_完全版

 
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SF小説『AKIHABARA』執筆裏話
2016 / 11 / 19 ( Sat ) 09:39:18


 今朝の東京は雨です。

 洗濯物、部屋干しです。

 おはようございます、kakisakasanです。


 11月12日の土曜日にデータをキンドルにアップして、配信が開始されたのが11月14日の月曜日。

 垣坂弘紫が初めて手掛けたSF小説『AKIHABARA』。

 正確に言うと、二十代の時に書いた二編のSF小説を一編に再構成したものなんですけどね。

 でも、やはり仕上がったものは、過去の小説とは全く違うものになりました。

 キーワードは、公益財団法人・自己臓器移植開発機構。

 これが過去の二編を一編に繋いだと言えるでしょうね。

 ちなみに、この公財のある場所は、今最もホットな場所と言える豊洲です。

 世間であれだけ騒がれているわけですから、使わない手はないと思いましたし、行ったことのある人なら分かると思いますが、このような団体があっても不思議ではない、いや、豊洲にはこう言う団体が欲似合うと言った方がいいかな、ただの埋め立て地なんだけれども、都心とは違う何か妙な空間なんですよね。

 まあ、それにしても、今回は苦労しましたね。

 何に苦労したかって、それは勿論、科学的知識に関すること。

 もともとサイエンスは好きなので、そう言った本をたまに読むのですが、しかしそれは雑学程度のことであって、専門的な知識を扱うとなると話はまた別で…

 文系出身のkakisakasanが科学的なことに関するひとつひとつの事を理解するのは、そりゃあもう大変なことで…

 いくらフィクションの世界であっても、既定の事実をもとに作り上げているわけですから、その根底の部分で理解不足だとお話の展開に真実味が不足してしまいますからね。

 理解を間違えると、言葉の選択も間違えてしまいますから、読む人が読めば「これ、おかしいよ」ということになるんですよね。

 だからね、本当に頭がくらくらしましたよ。

 執筆中は慢性疲労症候群のように、疲れが取れなくて…

 口内炎と吹き出物が同時に出来たりとか…

 とにかく、背中が重たかったですね。

 勤め先の仕事も気の抜けない状況でしたから、体にはきっと二重の負担が掛かっていたんだと思います。

 だってねえ、執筆から解放された途端、背中の重みがかなり消えましたからね。

 自分の書く文章にはやはり責任を持たなくてはなりません。

 ただ、その重圧は自分が思っている以上だったんでしょうね。

 面白いかどうか、それは読まれる方の好みですから、何とも言えませんが、社会性の伴ったSF小説には仕上がったと思っていますので、読み応えはあるのではないかと思っています。

 興味が沸きましたら、是非とも、読んで頂けたらと思います。


 AKIHABARA_表紙画像


 
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