自由の女神~歴史の裏舞台~
2008 / 08 / 29 ( Fri ) 06:44:34


 今朝の東京は雨です。

 でも、一旦上がってます。

 夜中は雷も凄かったあ~

 電車、動いてるかなあ…

 おはようございます、kakisakasanです。


 えっと、これは一昨年の記事なんですけど自由の女神のモデルは一体誰か?と言うのを書いたことがあるんですね。

 自由の女神のモデルは、製作者の母親だったという内容だったんですが、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』~自由の女神像~によると、『本来のモデルはフランスの象徴マリアンヌである』と言う記述を偶然見つけまして、一体どっちが正しいんだろうって、kakisakasanは???となったわけなんですよ。

 もし、詳しい事を知っていらっしゃる方がいましたら、教えて頂けたらと思います。m(_ _)m

 でね、今日のお話はその是非を問うものではなく、自由の女神が組み立てられていた時の写真を見つけましたので、それをご紹介するものなんです。

 自由の女神はフランスで一度仮組みされた後、214個のパーツに分解し、ニューヨークへ運ばれたのですが、これはパリで建築、仮組みされたときの写真だそうです。

 まずは一枚目。

 自由の女神1

 1878年、パーツを作成するパリの工場(こうば)風景。これを見に30万人が訪れたそうです。

 自由の女神3

 1883年にはパリの公園で頭部が展示されたそうです。

 自由の女神4

 1883年。着々と胴体が組みあがり、手には松明(たいまつ)が。

 ここで、ちょっと、コメントを…

 右手に持って高々と上げているもの…

 あれは松明なんですが、以前ねえ、何かのクイズ番組で、あれは松明ではなく独立宣言書(もしくは独立契約書)である、と言うような事を言ってたんですよ。

 kakisakasanはそれを見て、「ああ、そうなんだ」と思い、これを書くまで松明は間違いだと思っていたんですが、 上記のフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、松明となっているんですよねえ…

 これまた、どちらが正しいのでしょうか。

 う~ん( ̄-  ̄ ) ンー・・・

 で、最後の写真。

 自由の女神5

 これは顔を裏側から見たもの…

 ちょっと不気味ですね。( ̄▽ ̄;)

 kakisakasanは実物を見たことがないので何とも言えませんが、実際に見た人は感慨深いものがあるのではないでしょうか。

 これに関する詳細は、下記のサイトにありますので、興味のある方はご訪問して頂けたらと思います。


 典拠URL
 ・らばQ~自由の女神の建築風景はこうなっていた…19世紀に撮影された写真 2008年08月22日 20:49~
 http://labaq.com/archives/51084087.html

   バナー

よかったらポチッとクリックして下さい。




スポンサーサイト

テーマ:気になるニュース - ジャンル:ニュース

* これぞ歴史の裏舞台(雑学) * trackback(0) * comment(2) * page top↑
大海人皇子の風呂
2008 / 08 / 27 ( Wed ) 06:47:25

 今朝の東京は晴れです。

 久しぶりの青空です。

 清清しい…

 でも、夕方から雨が降るそうです。

 ああ、四国に分けてあげたい… 

 おはようございます、kakisakasanです。


 みなさんは壬申の乱ってご存知ですか。

 日本史が好きな方でしたら、お分かりでしょうが、知らない方のために。ちょっと説明を…

 壬申の乱(じんしんのらん)は、672年に起きた日本古代最大の内乱であり、天智天皇の太子大友皇子(おおとものみこ、1870年(明治3年)弘文天皇の称号を追号)に対し、皇弟大海人皇子(おおあまのみこ、後の天武天皇)が地方豪族を味方に付けて反旗をひるがえしたものである。
 反乱者である大海人皇子が勝利するという、例の少ない内乱であった。
 天武天皇元年は干支で壬申(じんしん、みずのえさる)にあたるためこれを壬申の乱と呼んでいる。

 
 大学入試のときは、日本史を選択しまして、この壬申の乱という言葉はよく覚えています。

 でも、どんな内容だったのかは、正直言いまして、もうまったく覚えていませんでした。

 改めて調べてみると、へえ~って思いました。(^^;)

 でね、どうして、今日はこの壬申の乱を紹介したのかと言いますと、壬申の乱で大海人皇子(おおあまのみこ)が傷を癒やしたとの伝承がある伝統的なサウナ風呂、京都市左京区の「八瀬かまぶろ」(京都市登録有形民俗文化財)の修理が20日までに完了したというニュースを見つけたからなんですよ。

 修理を終えた八瀬かまぶろ(京都市左京区八瀬近衛町)

 大海人皇子の風呂

 何でも、内側の焼土が落ちるなど劣化が進んだため、元興寺文化財研究所(奈良市)が3年がかりで修理したとか…

 方法は、樹脂で土を石化、内壁を金属製の柱や網で支えたそうです。

 以下は記事の抜粋です。

 八瀬かまぶろは松の木をたき、かき出し、わらを敷き、上に塩水をかけ、蒸気を発生させる。
 江戸時代には16軒あり湯治場としてにぎわったという。
 現在伝統的なかまぶろは、この1基のみ。
 1895年内国勧業博覧会を記念して造られたとされるが、昭和以後はたかれていない。
 近くの旅館が構える近代式のかまぶろが、湯治場の面影を残す。
 管理する八瀬童子会の三好義雄会長(79)は「地域の宝。歴史を伝えるためにも、われわれの世代で修理ができてよかった」と話す。
 常時公開している。問い合わせは三好会長TEL075(701)4916へ。

 
 この説明と写真から推察すると、釜の中で一旦松の木を燃やして、中を熱くして、燃えカスを取り出して、今度はわらを敷いて、塩水をかけて水蒸気で中を満たす…

 と言うことなんでしょうね。

 そうすると、その準備をする人は大変だったでしょうね。

 体のあちこちに、火傷をしていたと思います。

 日本人って、やっぱりお風呂好きですね。

 そんなかまぶろが約1400年の時を経ても現代に残っているんですから、歴史の重みを感じますね。

 しかも、歴史の教科書に載っている人が使っていたんですからね。

 kakisakasanは興味津々です。

 京都を訪れることがありましたら、八瀬かまぶろに足を運んでみたいと思います。 


 典拠URL
 ・京都新聞~大海人皇子の“サウナ”再生 八瀬かまぶろ、3年かけ修理 8月20日16時0分配信~
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080820-00000027-kyt-l26
 ・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』~壬申の乱~
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E7%94%B3%E3%81%AE%E4%B9%B1


 

   バナー

よかったらポチッとクリックして下さい。





テーマ:気になるニュース - ジャンル:ニュース

* これぞ歴史の裏舞台(雑学) * trackback(0) * comment(3) * page top↑
バスクリンは豊かさの象徴だった
2006 / 11 / 21 ( Tue ) 10:27:36
まぐまぐから小説を連載しています(←よかったら、ポチッとクリックして下さい。)

 今朝の東京は晴れです。278

 洗濯物干してます。

 心持ち、暖かいです。

 おはようございます、kakisakasanです。410



 ここ最近、ずっと腰が痛くて慢性化しているようです。182

 目肩腰に効くと言われるビタミン剤を飲んでいますが、今のところ効果はありません。(-_-;)

 まあね、こんな時は、温泉にでもつかって、の~んびりすれば治るのではないかと思いますが、 湯治場に行く暇もお金もないです。(-o-;)

 温泉気分だけでも味わいたいなあ~

 と言うわけで、今日はバスクリンのお話をしようかと思います。

 日本人はとにかくお風呂好きですよね。

 極楽極楽と言って、湯船に浸かるのは、ほんといい気分ですよ。398

 でもね、毎日自宅でゆっくりとお風呂に入れるようになったのは、つい最近のことです。

 時代で言えば、昭和30年あたりではないでしょうか。

 団地が立ち並び、小さいながらも我が家が持てるようになった。

 じゃあ、その頃からバスクリンが登場したのかと言うと、その歴史は意外に古く昭和五年(1930
年)なんだそうです。

 その原点は、現在もツムラから発売されている婦人薬「中将湯」。

 当時、社員が「中将湯」を製造する際に生じた生薬の残りを持ち帰って風呂に入れてみた。

 すると、子供のあせもが治った。

 冬場は、温泉に入ったように体が温まる。

 この噂を聞きつけた付近の銭湯が「中将湯」を買い求めるようになった。

 そこで明治30年(1987年)銭湯向けに「浴剤中将湯」を発売するようになった。

 これが入浴剤のスタートなんだそうです。391

 しかし、夏場には温まりすぎると言う欠点が発覚。(^^ゞ

 それで、夏場でも使えるように改良され、売り出されたのがバスクリンなんです。

 それが昭和五年のことでした。

 子供の頃は、バスクリンを入れるのが、妙に贅沢に思われてね。228

 透明なお湯が、さっと緑色に変わっていく様子は今でもよく覚えています。

 高度経済成長に伴って、家がどんどん建ってゆき、内風呂が増えてくると、バスクリンの売り上げは爆発したそうです。

 昭和39年(1964年)には、何とか生産体制を整えるため、静岡県藤枝市にバスクリンの新工場が建設されたほどでした。

 バスクリンは、わたしにとっては、懐かしい思い出のひとつですが、見方によっては、バスクリンは豊かになっていく日本の一つの象徴だったのかもしれませんね。410


 典拠 : 超ロングセラー大図鑑
 発行所 : 竹内書店新社


 

テーマ:歴史 - ジャンル:サブカル

* これぞ歴史の裏舞台(雑学) * trackback(0) * comment(4) * page top↑
ソースはやっぱりブルドッグ(^^)
2006 / 11 / 02 ( Thu ) 10:06:53
まぐまぐから小説を連載しています(←よかったら、ポチッとクリックして下さい。)

 今朝の東京は277です。

 寒いです。

 明日から、三連休ですね。

 お出かけする人って、どれくらいいるんでしょうか。

 ああ、秋の京都に出かけたい。34

 おはようございます、kakisakasanです。410



 テレビや週刊誌などで、たまに、あなたは××派、それとも××派、なんてことしてるのを、見たことはありませんか。

 たとえば、目玉焼きに、あなたはソースをかけますか、そとれもしょう油をかけますか、と言った具合です。

 kakisakasanはその時々の気分でソースにしたり、しょう油にしたりします。(^~^)

 どっちもおいしいですからね。277

 で、そのソースですが、ウスターソースが日本にやってきたのは、幕末から明治の頃だそうです。

 この頃のソースは、香りや味が強すぎて、日本人の味覚には余り合わなかったそうです。

 でも、それは当然のことで、イギリスで生まれたウスターソースは、そもそもスープやシチューに数滴落として、風味をつけるために使われるものだったとか…239

 色合いからして、しょう油と似てますからね。

 多分、その感覚で使っちゃったから、「うえっ。何だこれ」となったんでしょうね。

 でも、次第に洋食屋さんも増えていって、ソースが使われるようになると、徐々に日本人の味覚に合うよう、アレンジされていったそうです。

 明治末期には、ほぼ現在の味になったようです。391

 こんな食生活の変化を機敏に察知した三澤屋商店(現在のブルドッグソース)の創業者である小島仲三郎は「今まで洋食屋でしか食べられなかったメニューも、いずれは家庭に浸透するはず」と、ソース製造事業に乗り出したんです。

 これが明治38年(1905年、日露戦争勃発の翌年です)のことです。

 トンカツやコロッケなど、今でこそ普通に食べられていますが、当時はおそらく高級料理だったんでしょうね。

 そう言えば、昔TBS系列で「天皇の料理番」というドラマがあって、主人公は堺正章さんでした。

 彼が将来、天皇陛下の料理番になるのですが、そのきっかけが洋食屋さんの厨房を覗いたからでした。

 いいにおいがして、ふらふらと入り込んで、でも怒られることなく、逆にカツレツを食べさせてもらうんですよ。

 堺正章さん扮する少年は、そのカツレツを食べて、そのおいしさの余り、感動で泣くんですね。406

 それほど、高級かつ、庶民には手の届かない食べ物だったと思います。

 今では、ソースと言えば「ブルドッグ」と言われるほど、そのブランド力は浸透していると思います。

 で、どうして、ブルドッグがブランドマークとして使用されたかと言いますと、ソース発祥の地イギリスの国犬であったこと、またソースがようやく日本の家庭に広まり始めた大正末期頃、ブルドッグがペットとして非常に人気を博していたからだとか…

 ペットのブルドッグ同様、人々に広く愛されようにと願いが込められていたんでしょうね。410


典拠 : 超ロングセラー大図鑑
出版社 : 竹内書店新社

テーマ:調味料 - ジャンル:グルメ

* これぞ歴史の裏舞台(雑学) * trackback(0) * comment(6) * page top↑
日本のしょう油はベルサイユ宮殿に飛んだ
2006 / 06 / 26 ( Mon ) 19:57:13

 いやあ、今日は疲れました。195

 もう、へとへとです。394

 まあ、でも、ブログの更新はなんとか出来る時間帯に帰って来られました。179

 明日も、アップ出来ると思いますが、明後日からは、多分無理だと思います。

 こんばんは、kakisakasanです。410 


 ベルサイユ宮殿に君臨して、絶大な権力を振るったのは「朕(ちん)は国家なり」などと言う台詞を吐いた独裁者、ルイ十四世です。20

 「太陽王」とも呼ばれました。239
 
 そんな王様ですから、ベルサイユ宮殿では連日絢爛豪華な宴が催されたとか。237
 
 当然、食材は世界中から集められ、その中には、なんと日本のしょう油もあったそうです。183
 
 ルイ十四世は、このしょう油をいたく気に入っていたようで、来る人来る人にしょう油味の料理を勧めたそうです。184
 
 元禄年間に長崎に住んでいたドイツ人のケンペルは、その著『日本史』の中で、オランダ人がしょう油をヨーロッパに108運んで、高い値段で取引したと記しています。
 
 おそらく、ベルサイユ宮殿で使われたしょう油は、オランダ人が運んだものなのでしょうが、日本のしょう油が遠くヨーロッパで珍重されていたのは、私たち日本人にとって、ちょっとした自慢ではないでしょうか。410


 典拠:世事俗事ものしり読本
 出版者 : 主婦と生活社

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

* これぞ歴史の裏舞台(雑学) * trackback(0) * comment(2) * page top↑
聴診器はエッチ先生から生まれた
2006 / 06 / 20 ( Tue ) 09:22:27

 今朝、東京で地震がありました。

 布団の中で、これは震度3くらいかなと思いながら、わたしは再び眠ってしまいました。395

 ニュースでは実際震度3と言っていましたが、その程度だと当たり前くらいに思って、グーグー眠ってしまうのは、考えると怖いなあと思いました。

 慣れっこになるのは、よくないですね。229

 おはようございます、kakisakasanです。410


 ナポレオンの侍医であるコルビザールには、レネックと言う弟子がいました。
 
 彼は患者の胸に耳を当てて、気管支などの音を聞き分けて診断に役立てることを考えつきました。
 
 しかし、女性患者には不評を買うばかり。195

 エッチ先生と呼ばれて、トホホな毎日を過ごしていたそうです。394
 
 ある日、彼は、子供達が棒切れの端を耳に当て、もう一方の端に針金をつけて音が伝わる遊びを見て、はっと気づきます。これだ354364
 
 早速、彼は厚紙を円筒状に巻き、家人の胸にあてて聞いてみました。418

 すると、どうです、心音がはっきりと聞こえるではありませんか。
 
 これが聴診器の生まれたきっかけです。
 
 もし、女性が積極的に耳を当てさせていたら、聴診器の発明は遅れていたかもしれないですね。410
 


 典拠:世事俗事ものしり読本


 

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

* これぞ歴史の裏舞台(雑学) * trackback(0) * comment(0) * page top↑
自由の女神のモデルは一体誰か?
2006 / 06 / 17 ( Sat ) 09:00:58
 今朝の東京は277です。

 気配としては、279が降りそうです。

 外からは聞きなれない鳥のさえずりが聞こえています。521

 目を閉じて聞いていると、森の中にいるみたいです。

 おはようございます、kakisakasanです。410



 自由の女神はアメリカ独立一〇〇周年の記念にフランスからお祝いとして贈られたものです。25  

 その計画を聞いた彫刻家フレデリック・オウガスト・バルトディはすぐに大きな彫像を思いついたとか。

 やがて本格的な取り組みが始まった時、彼は女神像を自分の母親に似せて描こうと思いました。 

 そう、自由の女神のモデルは、製作者の母親だったのです。183 

 彼の母親は理知的で気高い雰囲気を持ちながら、母性的な優しさも兼ね備えていた女性だったそうです。228

 女神像はフランスで製作され、分解して軍用輸送船108でアメリカに贈られました。 

 1886年10月28日の除幕式には、100万人の観衆が集まり、バルトディ自身が幕を取ったそうです。 410

  
 典拠:他人に言えないウラ事情
 出版者:青春出版社

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

* これぞ歴史の裏舞台(雑学) * trackback(0) * comment(0) * page top↑
* HOME * next